みうらや製麺 -茹でたてに勝る麺はなし-


<渥美半島に暮らす>

みうらや製麺

-茹でたてに勝る麺はなし-

国道259線、保美の信号を中山方面に曲がってすぐの場所に建つ「みうらや製麺」。 創業は昭和元年とのこと。 この地で、麺作り一筋に商売をし、地域密着で地元に愛され続け、今も尚、さらなる美味しさや新しい麺作りの研鑽を重ねるみうらや製麺の美味しさの秘密には何があるのでしょうか。 お話を聞きに作業場に伺いました。
 
 年中無休で麺作りをするみうらや製麺の一日の作業は、早朝5時から始まります。 茹で上げたうどん、蕎麦を袋に詰め、地元のスーパーの開店時間までに配達します。 徹底した手作業で行う麺作りの工程を、ほぼ家族のみで行う毎日。工場の案内とお話を聞かせてくれたのは3代目、現社長の三浦正好さん。 麺作りの作業の方は、その管理などの中心は息子さんであり4代目の大輔さんへと受け継がれています。

 コシがあり、モチモチとして自然な味わいが魅力のみうらや製麺の麺が美味し い理由は、 国産小麦へのこだわりと、何と言っても生地の「練り」と 「熟成」にあるとのこと。 大きな工場では、 この作業は手間と時間がかかるために省かれてしまうことも多いこの工程を、みうらや製麺では最も大切に行っています。 それが出来るのも、 この地で商売をしていく姿勢を貫いているからこそ。 生産規模と地域密着であることを考え、安さを売りにする商戦に参加せずに、ここならではの魅力ある商品を作り続けています。

 

 

 近年、特に注目されているのは、「全粒粉」を使用した麺です。 麺作りに一層の手間暇のかかる全粒粉を使用した麺を作ることになったきっかけは、10数年前に三浦さん(現社長)がふとした時に見つけた一枚の写真。(右上写真) それは昭和初期に撮影されたもので、創業者である先々代の三浦佐四郎さんを中心に、家族や近所の人達が写っています。
 

 

 

三浦さんはこの写真を眺める内に、「当時作っていた麺を再現しよう。」 という想いが湧き起こったとのこと。 そして、「その頃に使われていたのは純粋な小麦粉ではなく、意図せずして混入する「全粒粉」が混ざったものだったのではないか。」 そんな想像から完成させたのが 「全粒粉入りの麺]だったのです。 その味わいは、自然で優しく体に沁み入っていくような美味しさだと感じます。

 

 
「うどんを食べずして終われない」
-精進落としにうどんを食べる訳-
 
渥美地方に残る食文化で 「うどん」と言えば、昔からこの地域には 『葬儀や法事の精進落としの最後に必ずうどんを食べる』 という風習があります。 まるで 「うどんを食べずしては事が済まぬ。」 とでもいうように皆、食事の後にはうどんを食べます。 それは、時代が変わり仏事の場所
は自宅から葬祭センターへと変わっても尚、 この風習は今日に残っています。
 
 みうらや製麺が創業した昭和初期頃のこの地域のことをあれこれ調べると、豊川用水が開通する以前は渥美半島の特に先端に近い地域では、深刻な水不足であった事が分かります。 干ばつで痩せた土地で米や野菜が十分に栽培出来ない中、調達可能だった小麦から作る 「うどん」 が何よりの貴重な食料であったと思われます。 冠婚葬祭などの人生の節目にも、皆で食べていたのは当時はうどんだったのかもしれません。
 
 一方、「蕎麦」 と言うと、この地域独特の、野菜をたっぷり煮込んだ汁をかけて食べる 「田舎煮かけ蕎麦」 があります。 みうらや製麺では、この蕎麦の食べ方に一番適した蕎麦を作り続けています。 現在、約50種類の麺商品を作り、さらに取引のある食堂にオーダーメイドによるオリジナルの麺を作り、届けています。
渥美地方の食文化を支えているのは、麺作り一筋の熱い職人の心でした。
 

 

 

みうらや製麺
愛知県田原市保美町仲新古38番地の2
http://miurayaseimen.com
TEL0531-32-0153

 

川口木工所 -超絶技巧の組子細工職人 –


<文化・アート>

川口木工所

 -超絶技巧の組子細工職人


 

川口木工所(田原市小中山町) 
川口秀丸さん 川口博敬さん
 

 
 「川口木工所」の川口博敬さんは田原市小中山町在住の組子細工職人。父親の秀丸さんがこの地で始めた組子細工の技を受け継ぐ二代目。その技術は、H27年の全国建具展示会で日本一と認められる内閣総理大臣賞を受賞するほどの腕前です。この賞は父秀丸さんも過去に受賞し、親子二代による受賞は日本でも初めてのことだそうです。
 日本の伝統建築である和室にその機能においても美観においても、欠かせないのが木製建具。 組子細工とは、障子や欄間、 襖、などの建具の一部に施された装飾で、木工技術の中でも最も高度な手業が必要な伝統工芸。 その技術は日本独特のもので、小さく切り出した木片を釘を一切使わずに、日本伝統の幾何学模様を立体的に規則正しく組み上げ、建具全体として一つの美しい模様を作り出します。

仕上げられた繊細な作品は、まるで万華鏡を覗いた世界のようでもあり、完璧なまでの緻密な造形にため息が出ます。 薄いもので0.6mmにもなる切り出した木片に、特殊な道具で切り込みやホゾ、角度を付けてパーツを作り、全体を組み上げていくと言う工程。 その細かい作業の中で、0.1mm寸法が違うだけで、仕上がりの全体のバランスが崩れてしまいます。 「麻の葉」、「梅鉢」、「二重籠目」、「胡麻柄」 など、作られる伝統の組子細工模様は200種類以上あるとのこと。

組子細工は、文化として渥美地方に昔からあったわけではありませんでした。 父の秀丸さんと組子細工との出会いは、秀丸さんが中学を卒業後に建具屋の職に就き、その修行をしていく中、ある技術検定の審査会場で秀丸さんの腕前を見た審査員が、秀丸さんに組子細工の道を勧めたことがきっかけだったそうです。

「高みに登る」ことは、挑戦するかしないかを決めること
 

 以後、初めは専門の道具もままならない環境で、独学でひたすらに技を磨いてきたそうです。 そしてついに秀丸さんはS63年に全国建具展示会で内閣総理大臣賞を受賞。 記者の人たちが大勢訪れるなど、その様子を見ていた博敬さんは 「自分も日本一の組子細工職人になりたい。」 とこの道を志すことを決めました。
 


 

 

 「他人の到達出来ないところへ。」 この想いを力にしてここまで歩み、「挑み続けることが喜びであった。」 と父、秀丸さん。 「高みに登るということ。 何事においてもその山に登るか登らないかは、出来るかどうかということよりも、挑戦するかしないかを決めることです。」 と、穏やかさと強さの両方を宿したような語り口で話します。 それは、「自分を信じる」 ということだと、話を聞きながら感じました。 一人前になるのに10年はかかるという組子細工の道を志し、父の背中を見ながら一心に技を磨き続け、博敬さんは日本一の職人となりました。 「厳しい父ではありませんでした。」 と語る博敬さん。 秀丸さんの 「自分を信じる」 心が「相手を信じて待つ」という人の育成の姿勢に繋がっていることを、博敬さんの技術と真っ直ぐで力強い眼差しから感じられます。
 
親子二代の技と心はさらに、博敬さんの中学生になる二人の息子さんにも受け継がれようとしています。 途方もない時間と情熱をかけた修練から生まれる 美しい組子細工の世界に、すっかり魅了されました。

 


「然るべきところへ」 と、正確に刻まれた
パーツが組まれ、収まってゆく。

 

組子制作に欠かせない特殊な道具の一つ、
「組手作手(くでじゃくり)」。

 
 
 
川口木工所
愛知県田原市小中山町北浜新田6−5
http://mokkouzyo.web.fc2.com
TEL0531-32-1011

「農」という循環の暮らし


<農 -cultivation->

豆に暮らす野の暮らし研究所

「農」という循環の暮らし

 

 

 
 豆に暮らす野の暮らし研究所」から「循環農法野菜セット」が我が家にも届きました。紫芋、じゃがいも、冬瓜、緑なす、丸オクラ、きゅうり、白皮砂糖かぼちゃ、オクラ(スターオブデビット)、ピーマン、バジルの10品種。 どの野菜もどっしりとして生き生き。
 

 
 豊橋市出身の豆野さんは22歳の頃に自分がしたいことを考える中で、自給自足の「農業」を知りたいと思い、田原市内で自然農法の研修を経て翌年に2011年に独立し、奥さんの聡子さんと共に農薬や化学肥料を使用しない有機農業の農家、「豆に暮らす野の暮らし研究所」を営んでいます。
 現在、循環農法で固定種、在来種の野菜、米、果物を栽培し、また平飼いによる鶏を約80羽ほど飼育しています。 豆野さんは、「4つのE」、「Ethical (社会的倫理のための)、Ecological(生態学的にに良い)、Eternal(永続的な)、Earth-Friendly(地球に優しい)」を農業の行動基準に置いているとのこと。

循環農法とは、人・動物・糞尿・微生物・土・植物が循環しながら互いの存在を肯定する農法であり、その輪には「ゴミ」というものはありません。 そしてまたそれは、人にとって暮らしそのものだと感じます。 農業と自然環境の両立を考える上で大事なのは「人」だと、豆野さんは話します。 身近な人を尊重し、大事に思うその循環に、環境への意識や美味しい食べ物が自然にあるということ。
 
 取材を終え、数日後に届いた目が覚めるようなとびきり美味しい野菜を料理し、いただくうちに、「循環」という視点で私自身の生活を度々振り返るようになりました。 自分はどんな循環の中で、周りに何が出来ているのだろうか、未来に私は何を残したいのだろうか、と。

2018年に施行された種子法廃止により、「種」を巡る世界情勢が大きく変化しようとしています。 固定種、在来種の作物を育てる農家の多くが危機感を感じている中で、先ずは種のことを知り、繋いだ種から食べ物が作られることの大切さを学ぶことから。

農作業の様子はもちろん、WWOOFホストとして世界各地からのウーファーを受け入れたり、採れた作物で作る料理など、豆野さんの暮らしの日常は、開催する食育ワークショップやホームページのブログなどで発信されています。
 

 

豆に暮らす野の暮らし研究所
〒441-3503 愛知県田原市若見町土手の内43
TEL090-1533-0413(豆野)
ホームページ
◼︎「循環農法野菜セット」の詳細はホームページまで。 

 
 

秋田 – 人情がつなぐ郷土・人・伝統文化-


<渥美半島から、旅へ>
秋田
– 人情がつなぐ郷土・人・伝統文化-
 

 
「一年の5ヶ月が雪に埋もれる雪国秋田。ぶ厚く白い雲に覆われた田畑、野山の動物は眠る。」
柳田国男「雪国の民族」より

 
 
西馬音内の盆踊り
 
 
友人を訪ねて秋田へ旅をしたのはお盆の頃。
 「日本一美しい」 と聞き、以前から観てみたかった秋田県羽後町西馬音内で行われる盆踊りに訪れました。会場に着いた時はちょうど、櫓の上で寄せ太鼓と囃子が奏でられ、踊りの舞台となる通りには篝火が灯されたところでした。 やがて歌が加わり、踊りが始まると一気に幻想的で妖艶な光景に魅了されてしまいました。 約700年前に始まったとされ、「亡者踊り」とも呼ばれるこの踊りは、その象徴とも言えるのが半月型の編笠と、彦三頭巾で顔を隠して踊る姿。 美しい指先の動き、身に纏う「端縫い」と藍染の着物が艶やかさとなり、見る者の心を捉えます。 一時は弾圧などの理由で衰えた頃もあったようですが、地元の人たちの熱意でこれまで盛んに行われているとのこと。

この「西馬音内の盆踊り」の他にも「竿灯祭り」、「なまはげ」や「かまくら」 などの四季折々の祭りと年中行事、伝統芸能が秋田県には多く残り、その豊富さと特殊性は重要無形文化財として16件も登録される(全国1位)など、他の県と比べても飛び抜けています。
 
これほどまでに多様で多くの伝統が残されている理由には、どんな背景があるのでしょうか。それは、「共同体の結束」 として、集落での助け合いの意識を守るためではないかと言われています。 雪国という厳しい環境の中で、人々は助け合い、団結する心が自然に求められました。 雪掻きの経験もなく、雪は年に一度降るか降らぬかの温暖な渥美半島に暮らす私には、雪国の暮らしの厳しさは到底語ることも出来ませんが、集落の無事と、その年の豊作を願いながら、行事や祭りを通してその団結は培われてきたことと想像します。
 
秋田の旅を通して温かく迎えてくれた友人や出会った人達から受けたのは郷土を愛し、仲間を想う誇りと人情でした。 民俗文化は、そこでの暮らしの中で「人」を介して継承されていきます。 受け継ぐ「人」があっての財産。 それらを育み、支えているのはまさしく草の根の郷土愛と人情、そんな風に感じました。

 
 

books and arts-窓を開けて星と語る-


 

books and arts -窓を開けて星と語る-
hakobuneから紹介する本・アート・学び


 
「センス オブ ワンダー」。この言葉を人生で一番最初に教えてくれたのは短大時代にお世話になったアメリカ出身の教授でした。
 彼が卒業に際して送ってくれたこの言葉が以後ずっと、私の心に棲み付くいています。この本の作者のレイチェル・カーソンは1962年、著書「沈黙の春」で農薬や化学物質による環境破壊の実態に世界に先駆けて警笛を鳴らしたアメリカの海洋生物学者であり、ベストセラー作家です。

 この本が伝えているのは、癌を発病したレイチェルが、死の間際に残したメッセージ。それは、子供達の心に「センス オブ ワンダー」(神秘さや不思議さに目を見張る感性)を育むことの大切さでした。夜空の星の輝き、植物の芽吹きや潮の満ち引き・・・当たり前に思えるような目の前の現象は、かけがえのない命の輝きと自然の神秘に満ちていることをあらためて気付かせてくれます。レチェルの信念が美しく詩情豊かな文体となり、いつまでも心に残ります。
 
「センス オブ ワンダー」
著者 / レイチェル・カーソン
訳 / 上遠恵子

 
Text and Editing_Masami Araki / Myoujou Library
photo_Koshi Asano / Office Presence